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東京地方裁判所 昭和30年(モ)11288号 判決

債権者 鳥海京

債務者 田中正治郎

主文

一  債務者が債権者のため金八十万円の保証をたてることを条件として、当裁判所が、昭和三十年(ヨ)第四、二九一号不動産仮処分申請事件について、同年七月二十七日した仮処分決定を、次のとおり変更する。

債務者の別紙目録〈省略〉記載の建物に対する占有を解いて、債権者の委任した東京地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。執行吏は、その現状を変更しないことを条件として、債務者にその使用を許さなければならない。たゞし、現在の坪数を増加し、または、現在の外部的構造を変更するなど当初の設計の変更にわたらないかぎり、債務者に対し、建築工事の続行を許すことができる。

執行吏は、その保管にかかることを公示するため適当の方法をとるべく、債務者は、この占有を他人に移転し、または占有名義を変更してはならない。

二  訴訟費用はこれを二分し、その一を債権者、その一を債務者の負担とする。

三  この判決は、第一項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一債権者の主張

(申立)

債権者訴訟代理人は、主文第一項掲記の仮処分決定は認可する旨の判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。

(理由)

一  債権者は、昭和二十二年九月六日、玉置源一郎から、東京都千代田区四番町九番地ノ八宅地五百六十坪を買い受け、同日その所有権取得の登記を経由した。

二  しかるところ、昭和三十年七月二十一日、右土地の一部に何人かが建物を築造していることを発見し、驚いて調査したところ、次の事実が判明した。すなわち、

(一) 右土地につき、昭和二十九年十月十一日、債権者から関口孟也売買による所有権移転登記がされ、関口は、同年同月二十八日、右土地を同番地ノ八宅地四百五十六坪四合九勺、同番地ノ九宅地百三坪五合一勺に分筆登記をしたこと。

(二) 右分筆後の土地につき、後者については同年十月二十八日、関口から債務者に、前者については同年十一月十日、関口から学校法人女子学院に、いずれも売買による所有権移転登記がされていること。

三  しかしながら、債権者は、右関口とは一面識もなく、右土地を同人に売却したことがないばかりでなく、もとより前記のような所有権移転登記手続をしたこともなく、右は関口が債権者の委任状、印鑑証明書及び印章を偽造して東京法務局麹町出張所係員を欺罔して虚偽の登記をしたものである。

四  債務者は、登記簿上その所有名義となつた右百三坪五合一勺の土地上に、昭和三十年五月頃から別紙目録表示の家屋を建築し始め、現在五割程度竣工している。よつて、債権者は、債務者に対し、右土地の所有権に基き、建物収去土地明渡し等の訴訟を提起すべく準備中であるが、建築工事が完成し、債務者又は第三者が入居するときは、その執行が著しく困難になるので、東京地方裁判所に対して本件仮処分を申請し(当庁昭和三十年(ヨ)第四、二九一号事件)、同年七月二十七日「債務者の別紙目録記載の未完成建物に対する占有を解いて、債権者の委任した東京地方裁判所執行吏にその保管を命ずる。執行吏はその保管に係ることを公示するため適当の方法をとらなければならない。債務者は右建築中の建物の建築工事を続行してはならない」旨の仮処分決定を得たが、右決定は相当であつて、いまなお、維持する必要があるから、その認可を求める。

五  債務者の特別事情の主張は否認する。すなわち、債務者の主張するとおり本件家屋の工事が進捗しているとすれば、すでに材料腐朽等による損害発生を防止し得る程度に達している(すでに戸締りは全部されている。)のであるから、本件仮処分の継続によつて債務者の蒙るべき損害が通常の場合に比べて特に著しいとは考えられないのに対し、一旦建築の完成した家屋を収去することは、これによる国家経済上の損失ないし居住者の住居の喪失ということに対する配慮から、その執行は、現実の問題として、著しく困難となり、ために債権者としてもその収去を断念せざるを得ないような羽目に立ち至ることも決して少くないのであり、又、債権者は、右家屋が存在するため、本件土地の裏側に隣接する前掲宅地四百五十六坪四合九勺の利用価値も全く失われ、子供達のため家屋を建築するため今日まで右土地を確保してきた目的を達することができず、これにより蒙る損害は到底債務者の比ではなく、金銭によつてこれを補填することもできない。よつて、本件仮処分を取り消すべき特別の事情は全く存しないのである。

第二債務者の主張

(申立)

債務者訴訟代理人は、主文第一項掲記の仮処分決定は取り消す、債権者の本件仮処分申請は却下するとの判決を求め、その理由として、次のとおり陳述した。

(理由)

一  債権者が本件仮処分申請の理由として主張する事実関係は、本件においては、あえて争わない。

二  しかしながら、本件仮処分については、次のような特別事情が存在する。

すなわち、

(一) 債務者は本件土地が関口孟也の所有であると信じて約金四百万円でこれを買い受け、家族のために必要な住居として、一世一代の理想的日本建築をつくりたいという念願のもとに、最高の資材を厳選し、職人も請負工事とせず常傭とし、すでに約金三百万円を投じて鋭意その竣工に努力した結果、本件仮処分の執行当時においては、本件家屋は、壁の中塗り工事、戸袋取付工事、玄関明りとり窓枠工事等の仕上げ工事、建具、襖の建付工事、湯殿タイル張り工事等を残すのみとなつていたのであるが、仮処分の執行により、事実上の監守者もなく、戸締りその他風雨を防ぐ方法もない空家のままに放置するのやむなきに至り、ために、折角の家屋は、時の経過とともに朽廃をまぬがれず、まして台風の襲来その他の非常の場合を考えれば、債務者は回復すべからざる重大な損害を蒙ることは、十分予測し得るところである。

(二) 又、債務者の二男の妻及び三男の妻は、いずれも妊娠中で、分娩のうえは新住宅において楽しい生活ができることを期待していた際、突如として本件仮処分の執行を受けたため、二男の妻は予定日より二週間も早い八月三日出産し、しかも、異常分娩のためか嬰児は腕を骨折し、母子とも入院加療中であるが、退院しても早速居住の場所に窮する有様である。この出来事は近々に迫つた三男の妻の分娩に対する恐怖心を倍加しているが、このほか、債務者一家の受けた精神的苦痛は、はかり知れぬものがあり、新築家屋にかけた希望が大きかつただけに、その失望も、まことに深刻である。

(三) これに対し、本件建物工事の完成及び債務者の入居を許しても(債務者は、その家族の住居として本件建物を築造したものであり、第三者を居住させ、もしくは占有を他へ移転する考えは毛頭ない。)、債権者が建物収去土地明渡しの執行をするについて、特に多額の費用を要することはないから、本件仮処分が取り消されても、債権者は、これにより格別の損害を蒙らないし、仮に若干の損害を生ずるとしても、それは金銭をもつて十分つぐなうことのできるものである。

三  すなわち、本件仮処分によつて保全される債権者の利益は、金銭によつて補填できるし、そうしても仮処分の目的が失われることはないのに対し、債務者は、通常の場合において仮処分により債務者が受ける損害に比べて、甚だしく過大な損害を蒙るのであるから、本件仮処分は、保証を条件として取り消されるべきである。

第三疏明関係〈省略〉

理由

一  本件仮処分申請の理由たる事実については、債務者は、これを争わない。

二  よつて、本件仮処分決定を取り消すべき特別事情の有無について判断する。

(一)  まず、本件仮処分によつて保全される権利が金銭補償によつてその結局の目的を達し得べきものであるかどうかについて考えるに、本件仮処分は、土地所有権に基く建物収去土地明渡しの執行、すなわち、財産的利益を保全するためにされたものであることは、当裁判所に顕著な事実であるところ、仮処分により保全されるべき権利が金銭的補償を得ることによりその終局の目的を達し得られるものであるかどうかは、本案訴訟における請求の内容及び当該処分の目的等諸般の情況により社会通念に従つて客観的に判断すべきであるが、成立に争いのない乙第一号証に証人秋口広吉の証言を綜合すると、本件仮処分決定の執行当時において、本件家屋は九分どおり完成し、壁は荒壁塗りで、造作の取付けはなかつたが、左側奥八帖室に畳及び襖を入れて債務者(及びその家族)が使用していたことを、一応、認めることができ、これを覆すに足りる明確な疏明はない。家屋の建築工事の進行状況が、すでにこの程度である以上、残工事を完成させたうえ債務者の使用を許し、現状の変更及び占有の移転を禁止する措置を講ずることにより、建物収去土地明渡しの執行は十分保全され得るし、特段の事情の見るべきもののない本件においては、これによつて執行が不能又は特に困難になるとは認められない(本件家屋が、残工事完成後においても、僅かの費用と労力とにより、その収去ができるであろうことは証人秋口広吉の証言によつても、これを窺い得べく、これに反する債権者の見解は、ただちに採用し難い。)のであり、執行の遷延又は執行費用の増大により若干の損害が生ずるとしても、それは金銭をもつて補填し得るものということができる。なお債権者は、右家屋のため本件土地の裏側に隣接する宅地四百五十六坪四合九勺の利用価値が全く失われるというが、仮にそうであるとしても、現に、未完成とはいえ、その前面に本件家屋が存在する以上、これを完成させて債務者に使用を許しても、これにより右隣接宅地の利用について甚だしい消長を来すものとは考えられず、叙上の判断を左右すべき適確な疏明はない。

(二)  次に、本件仮処分によつて債務者の蒙るべき損害について考察するに、前段に説示した諸事実に債務者本人の供述を綜合すると、債務者は関口孟也から本件土地百三坪五合一勺を約金四百万円で買い受け(右土地が関口の所有でなく、したがつて、債務者において、実質的に、その所有権を取得するに由ないとしても、)、更に約金三百万円の資材と少なからぬ労力とを投じて本件家屋を建築し、完成間近に至つて本件仮処分の執行を受け、工事の続行はもちろん、入居することもできず、右家屋の監守保存に著しい困難を生じ、非常災害の場合はいうまでもなく、通常の場合においても、前に説示したような状況において家屋を放置するときは、通風その他の保存のため必要な措置が講じられないため、短期間にその朽廃破損を招来することは経験則に照らし、容易に首肯し得るところであり(証人秋口広吉の証言によつてもこのことが窺える。)、ために債務者の受ける精神的苦痛も著大であろうことが推認される。

これを要するに、叙上の事実によれば、債務者は、本件仮処分により異常な損害、すなわち工事完成のうえ、債務者の居住のままでする現状維持の仮処分執行の場合に比して、特に著しい損害を蒙るものというべきである。

三  以上の事実に徴するときは、本件においては、まさに仮処分命令を取り消すべき特別の事情があるというべきであるが、その特別の事情は、これにより本件仮処分命令の全部を取り消すを相当とするものではなく、ただ、前示事由に照らしてこれを変更し、債務者のために、残された建築工事(当初の設計に基く内部工事を主とし、もとより、その外部的構造の変更を伴うものを含まない。)の続行を許し、完成のうえ、現状を変更しないことを条件として、その使用を許すことにより、債務者の蒙るべき著しい損害を避けるとともに、債権者の権利の実行を保全せしめるを相当とすると認められるので、債務者に、債権者のため金八十万円の保証を立てさせることを条件として、右の限度において、主文第一項掲記の仮処分決定を取り消すこととし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三宅正雄 田中恒朗 深谷真也)

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